幸せでいるために

子供3人の内2人が不登校に。それでも幸せを感じ、笑顔で楽しく過ごしているうき家の日常雑記Blog。

不登校part2 前回の続き

こんにちは!

今回は前回の不登校になってからの続きを書いていこうと思います。

今は明るく在宅小学生ですが、当時は真っ暗なトンネルの中の様でした。

 

次女の完全不登校

無理矢理連れて行くのは不可能と察知した私。

とにかく寄り添わねば。と思いつつ、

勉強はどうしよう。他の兄弟は学校行ってるのに。

と思っていた私が最初にした事、それは

 

学校休むなら学校のある時間帯は携帯禁止。やるとしても勉強アプリだけ!宿題は全てやる事。

 

次女は私の言う事を守りました。

でも、その代わり次女は笑顔が極端に減りました。少し元気があるのは土日だけでした。

ずっと寝ている事が多く、悲しい顔が増え、時には涙を流しまた寝て。その繰り返し。

当時次女は小学2年生の3学期でした。

 

私の中でそんな次女の様子を見ていて、これでいいのだろうか。辛く悲しい顔をしてる。行きたいのに行けないんだと自分を責めている、そんな次女を見ていて心が痛くなりました。

 

私はどうしたら良いのか分からず、以前個人的に使用していたTwitter不登校のアカウントを作り、いろいろな情報収集をしました。

その間に市の教育センターへも相談に行きました。

 

Twitterでは、子供が不登校の経験がある親御さん、不登校経験の方などたくさんの方がいて、

 

・無理に学校へ行かせなくても良い事。

・十分苦しみ、行きたくても行けない子がたくさんいる事。

・元気やパワーを溜めるのが大切な事。

・命を絶ってしまった子の親御さんの話。

・周りが行かせようとしてはパワーがチャージされない事。

・普通や常識というものは、縛られた過去からきているものに過ぎない事。

 

様々な事を学び、

教育センターでは、3年生から頑張ってみようかと言われましたが、私が頑張っても子はどうにもならなかったのに、そんな他人の声で次女が頑張れるとは思えませんでした。

 

そして、私は対応を変えてみました。

携帯の制限も、勉強の制限も全て無くしました。

 

暫くは私が仕事へ行く時(旦那在宅勤務)次女は泣き喚き、大変でした。

でも、制限を無くしてから徐々に笑顔が増えてきました。

次女の笑顔が増えた事により、私も徐々に落ち着きを取り戻し、私の最初の対応が間違っていた事に気付きました。

よくよく次女を眺めていたら、ゲームでは海外の人と交流するために翻訳アプリを入れたり、動画を作成してみたり、音楽を作成してみたり。自分なりに成長している事に気付きました。

 

次女なら、きっと大丈夫。

心の底からそう思えるようになると、私の心も穏やかになってきた気がします。

 

そんな矢先…学校へ通えていた末っ子長男が

『お腹痛い。休みたい。』

と言い出しました。

次女に対しての対応を誤った私は最初はすんなり休ませてあげました。

けれど、末っ子長男の休みたいという発言は日に日に増えました。

私は、次女も学校行けてないのに末っ子の息子まで……と、また心の闘いが始まりました。

 

息子と次女の性格タイプは違う。

私は息子には出来る限り頑張ってもらいました。

でも、息子もとうとう完全不登校に。

最後の行けなくなった日の朝の事は鮮明に覚えています。私は最低だったかもしれない。

玄関から行ってらっしゃい!!とお外に無理矢理出しました。(私本当最低ですが、経験したら分かります。この気持ち)

 

少ししてから玄関から外の様子を見てみると

息子は地面にべたっと座り込み(ほぼ寝転び)、登校班の別の子の叔父さんが声をかけてるではありませんか!

 

はっっっ!?!!とした私は急いで外へ出ました。息子へ声をかけると

『行きたくない』

立ち上がることすらしないし、登校班の子に迷惑がかかると思った私は、叔父さんに頭を下げ、息子を休ませる事にしました。

 

その日の朝は涙が止まりませんでした。

息子の気持ちに対して、母親の私は何をしてるんだ。次女で理解していたはずなのに。ここまで苦しめてしまっていたんだ。私は最低の母親だ。こんな母親でごめん。という気持ちでいっぱいになりました。

(今書きながらも思い出して辛い…)

 

それからは無理矢理行かせることを半ば諦めですが、やめました。

まだ小さく数年しか生きていない大切で大好きな我が子達。

そんな大切な我が子を、母親の私が苦しめてどうするの。

そう考えるようになりました。

 

そして、毎日家だとしても楽しく笑顔でいれるようにしよう。

そう思いました。

 

比較的私が気付くのは早かった方かもしれません。

Twitterでは数ヶ月、数年と対応に困る方もいて。とっても気持ち分かるんですよね。

そして、母親の私の気持ちが切り替わったと思っていても実際切り替わってなかったりする事もありました。今もちゃんと切り替わったかはまだまだ分からないけれど、以前より広い視野で物事を見られるようになった気がします。

 

今、こうしている時も、悩んでいる方がいる。

その方に伝えたい事は、

 

あなたは1人じゃない。仲間がたくさんいる。近くに居なくても、世界中にたくさんいる。

だから1人で抱え込まないでほしい。

 

私も周りにいなくて自分を追い詰めまくっていたので、本当これに限ります。

 

今は、子供の成長にも気付けたり、自分の成長にも気付けたり。

本来我慢しなくて良い事、人生を縛らずに過ごせる事。

いろいろ私も子供達も学びながら、時々給食だけ行けるようになり少しずつできる事をして笑顔で平和に過ごしています。

 

長くなっちゃったのでここまでにします。

次からは日常blogなので重すぎなお話はこれで終わりです(笑)

 

 

 

自己紹介と不登校の始まり

こんにちは!初めまして。

ブログを書くのは高校生ぶりです。

(当時ガラケーでファッションブログしていたなぁ)

 

自己紹介からしたいなと思ってます。

33歳主婦。波乱万丈な人生の方だと思います(笑)

好奇心旺盛でいつもバタバタしている気がします。

私は子供が3人いて、内二人は不登校の子です。

不登校の子は小学3年生と4年生。

不登校になってから、かれこれ1年以上経過しています。

 

最初は真ん中っ子次女の不登校から始まりました。

『学校行けー!!!仕事できないと生活できないから困るー!!!』

と言いまくっていた気がします(本当今は反省・・・)

 

いくら声をかけても行けず、本人は腹痛や頭痛を訴え、仕事に行こうとしても泣き喚き、地獄絵図だったかもしれません。

 

子供は学校へ行き、自分も仕事へ行く。

これが私にとっての普通だったあの頃は、この普通からはみ出てしまうことに、とてつもない程の不安と恐怖があったのです。

 

そこから戦いの日々が始まりました。

毎朝、今日はグズらず学校いけるだろうか。

また行かない、勉強どうしよう。仕事もどうしよう。

登校班で学校まで一緒に付き添ったら行けるかもしれないと付き添い登校を毎日してみたり。(結局付き添っても行けなかったですが。)

 

結局学校へは行けず、次女は私と離れられなくなり私も仕事へ行けず。

こうして、完全不登校が始まりました。

 

初めましてのくせに、重いお話ですね(笑)

今は家の中も明るく元気な空気ですよ。

続きはまた次回に続けようと思います。